-第五話「Mini Bus from Osaka」-
最初のジャパンスプラッシュが東京で開催されることが決まり、大阪レゲエ者が色めきだった。
それまで金が無い為に数少ないレゲエコンサートにも行けなかった者が「割安」とでも考えたのか
1万円で何人もアーティストが見れるとあって、東京までどうやって行き、宿泊はどこで?と云う話
が挨拶代わりになっていた程 大阪ではHOTなNewsだった。
大阪市バスの運転手がRiddim PosseのStudentとしてマンガの話の様に存在していた。
当時かのJamdonでは G,Treeの「Mini Bus」が大流行。「ジャメイカ行った者」の中から「ミニバスで
行こう!」と提案があり 即 「ジャパンスプラッシュツアー」が募られたのだった。
レンタカー屋からコースターをレンタルし総勢20人程が東京へ向かうことになったのだ。ツアーの
メンバーはやはりと云うべきか、Riddim PosseのStudentでまことに濃いメンバーでした。
その中心メンバーは勿論 Riddim PosseのオーナーであるSMやなく、S & O,"
fi real "Fuckin JUN
、おじ、NSC研究生だったTOKU, キク、市バスの運転手、西成のタミちゃん、「花売り娘」スーちゃん
等々、名前だけでも濃いREGGAE者の人たちで他にもいたが私の記憶の中から名前が引っ張りだ
せないのが残念だ。とにかくミニバスに乗り込んだ異様とも云える一行はいざ、東京へと向かったの
である。クソ暑い夏に毛糸のタムをかぶる者、ドレッドの者、ほとんどのメンバーがウサギの様な目を
隠す為に黒いサングラスをつけていた。道中はやはりガンガンにJBCのテープやダンスホールミュー
ジックを鳴らし東名高速を東にひたすら走ったが距離が距離だけにそのうち爆睡する者もいた。
そうして約9時間程かけて東京に着いた一行は後楽園パ−ク野外ステージを探し会場に入りした。
バスの中でヨレヨレになっていても いざ会場に入ると皆テンションが上がり始め、またまやウサギ目
になったのであった。まだその日の私の事にふれてなかったが、やはり他のメンバー同様でテンション
があがりっぱなしでまだ見ぬジャメイカへの想いをどんどんふくらましていたのだった。因みにこのツア
ーを境に私の「ジャメイカ依存症」が知らぬ間に深まり、仕事さえ失うのであった。
高速バスや新幹線、はたまた飛行機で続々と全国のレゲエ者が集まりこのShow
は始まった。いつも
のごとくスラックスにTシャツと云うバビロンがそこらじゅうにはべっていてジャンキーをLockしていくので
あるが、大阪レゲエ者はいつもHold Tightである為、Showをエンジョイできた。このShowで目立ったのは
当時社会現象にもなった「ブラさがり族」というアメリカ兵にフックしてるギャルが多いことに私は「やっぱ
り、東京やな」とひしひしと感じさせられたのと終戦期はまだまだ終わっていないなぁと全くレゲエに関係
なく寂しい気持ちになったのは今でも脳裏に焼き付いている。そんなこんなでShowも終わり東京唯一の
クラブ「Bubblin Dub」へ皆は繰りだして行き、我々は東京の夜をエンジョイして、またまたバスに揺られて
大阪へ戻るのであった。 JAH LOVE
-第六話「ジャメイカ(レゲエ)依存症」-